未来に受け継がれるものとは何か
── 発酵と“人”がつくる循環
受け継ぐとは、何を受け継ぐことなのだろう。技術や仕組みの奥に、確かに残っていくものがあるとしたら、それは「人」のどんな感覚なのか。発酵という営みは、微生物だけで完結しない。土地の記憶、つくり手の姿勢、そして誰かを想う気持ちが重なり、時間をかけて形になっていく。
フジワラテクノアート社長・藤原恵子氏が語るのは、突然「継ぐ側」になった人生の転機と、そこから変わらず抱き続けてきた“人”への眼差しだった。対話の中から、未来へ手渡したい価値が静かに立ち上がっていく。

継ぐという決断
── 想像していなかった人生の転機
継ぐとは、準備された道を歩くことではない。
ある日突然、責任だけが目の前に立ち現れることもある。
山地:最初に「未来に受け継がれるもの」というテーマでお伺いしたいと思います。私は美しい情景や文化を100年後に受け継ぎ伝えたいという想いで活動していますが、藤原さんが会社を継がれる中で一番大きな転機だった瞬間について教えてください。
藤原:もともと私は専業主婦でしたので、会社を継ぐなんて夢にも思っていませんでした。夫が社長になって7年目に急逝し、12月30日に父から「あなたが社長になりなさい」と言われたんです。何も知らないまま、1月5日に社長就任の挨拶をしました。本当に全く違う世界に突然立たされました。
山地:想像もしていなかった人生への転換ですね。
藤原:そうですね。でも不思議と「仕方がない」と思いました。小さい頃から祖母に「子どもが継ぐのよ」と言われ続けていたんです。亡くなった以上、私が守らなければいけない、という想いでした。会社のことは子どもの頃からずっと身近にあって、独身寮のお兄ちゃんたちに遊んでもらった記憶もあります。だから突然ではあったけれど、どこかで繋がっていたのかもしれません。
山地:「継ぐ」という言葉は大きく聞こえますが、自然に続いていた時間の延長でもあったのですね。
藤原:そうかもしれません。会社経営がどれほど大変かも分からずに始まりましたが、社員が本当によく支えてくれました。今振り返ると、よくついて来てくれたなと思います。

「家族のような会社」という感覚
── 「人」を中心に置くということ
経営の中心にあるのは、数字ではなく「人」。
守ろうとしたのは、会社そのものよりも、そこにいる一人ひとりだった。
山地:専業主婦から経営者へという立場の変化は、価値観にも大きな影響があったのではないでしょうか。
藤原:26年前は女性経営者も少なく、女性が働きやすい職場という言葉もあまり聞かれない時代でした。でも社長になった以上、逃げないと決めました。そして思ったのは、社員を幸せにするのが私の役目だということでした。
山地:「家族のような会社」という言葉を拝見しました。
藤原:子育てしかしてこなかったので、その延長でした。家庭の感覚をそのまま会社に持っていく。社員も自分の子どものように思って、みんなが幸せに働ける会社にしたいと思いました。
山地:まさに、子育ての経験が経営の大切な軸になったのですね。
藤原:そうですね。社員同士も支え合っていますし、休みの日も一緒に遊ぶくらい仲が良い。マラソンやリレーマラソンもみんなで出ています。結婚も早く、子どもも多いんですよ。報告に来てくれるのが本当に嬉しいです。会社が大切なコミュニティになっているのだと思います。
山地:企業という言葉で見ると難しく感じますが、同じ方向を向く人たちの集まりと考えると、とても自然ですね。
藤原:社員もお客様も、どちらも裏切ってはいけない。醸造家の方々は本当に温かくて、最初に全国を回った時に強くそう思いました。こんなに良いお客様に恵まれているのだから、絶対に大切にしなければいけないと。
山地:技術や事業の前に、「人」があるということですね。
藤原:そうですね。人がいてこその会社ですから。

発酵は日本の誇りか
── 当たり前の中にある価値
当たり前にあるものほど、その価値に気づきにくい。
外からの視線が、私たちの足元を照らすことがある。
山地:世界から見たときの日本の価値についてお伺いしたいです。発酵は今、海外でも注目されていますが、日本の中では当たり前すぎて、その価値に気づいていない部分もあるのかなと感じます。
藤原:海外は発酵にとても注目しています。でも危機感もあります。ハーバードの学生が使っているバイブルは、オランダの発酵学なんです。発酵は日本のものだと思っていない学生が少なくない。そのことに驚きました。発酵は日本が誇るべき文化ですから、日本から発信していかなければいけないと思っています。
山地:当たり前にあるからこそ、外に出て初めて価値に気づくことがありますね。
藤原:ヨーロッパでも三ツ星レストランは発酵を取り入れています。厨房で麹をつくる設備を入れているところもあります。スペインのレストランで、日本人だと分かると「発酵、発酵」と言われたこともあります。それだけ関心が高い。でも日本のものだという意識は薄い。だからこそ発信が必要だと思っています。
山地:地元の人が地元の価値に気づきにくいのと似ているように思います。
藤原:そうですね。日本料理の土台には味噌や醤油があります。意識していなくても、発酵は生活の中に溶け込んでいる。気づかないうちに支えられている文化なんです。

異分野が溶け合う未来
── 境界線の先に生まれる循環
境界線を越えたとき、新しい可能性が立ち上がる。
異なるものが混ざり合うこと自体が、創造の始まりかもしれない。
山地:私は音楽という分野で活動していますが、医療や科学、発酵など、異分野と組み合わさることで新しい価値が生まれるのではないかと感じています。振動や周波数が発酵にどう影響するのか、といったことも含めて、異業種との融合についてどのようにお考えですか。
藤原:実は今、異業種との研究を積極的に進めています。食品メーカーや農業分野、廃棄されていたものに麹を混ぜて再生させる研究、微生物農薬、化粧品など、これまで接点のなかった分野との開発をしています。開発メンバーはとてもやりがいを感じています。
山地:発酵という文化が、境界線を越えて広がっていくのですね。
藤原:そうですね。発酵は応用の幅が広い。いろいろな分野と繋がることで、新しい可能性が生まれると思います。
山地:The SESSION 0の「0」には、境界線をなくし、ひとつの輪になるという意味を込めています。「和」という日本的な精神とも通じるものです。異なる分野が混ざり合うことが、未来をひらく鍵になるのではないかと感じています。
藤原:そういう活動はなかなか聞いたことがないですね。でも、私もそうであってほしいなと思います。

未来に受け継がれるもの
── 技術よりも先に残る“姿勢”
時間が経っても残るのは、形あるものだけではない。
そこに込められた姿勢やまなざしが、次の世代を支える。
山地:最後に、100年後の未来を考えたとき、藤原さんが残したいものは何でしょうか。
藤原:人が中心にあるという姿勢でしょうか。社員もお客様も大切にする。発酵という文化を守りながら、人が幸せに働ける環境をつくる。その積み重ねが未来につながると思っています。
山地:技術そのものだけでなく、その想いや姿勢が受け継がれていくのですね。
藤原:そうですね。発酵も時間をかけて育てます。人も同じだと思います。急いで結果を求めるのではなく、丁寧に育てていくこと。それが大切だと思います。
山地:発酵という営みは、目に見えないものを信じて待つ文化でもありますね。そこには、日本らしい時間の流れや、人を想う心があるように感じます。
藤原:本当に、そうかもしれませんね。発酵も人も、ゆっくりと時間をかけて育てるものですから。

Profile
藤原 恵子
岡山県出身。大学卒業後、専業主婦を経て2001年、フジワラテクノアート代表取締役就任。味噌・醤油・清酒など発酵食品分野の醸造機械メーカーとして国内外に展開する同社の成長を牽引。技術革新とグローバル市場開拓を推進し、地域ものづくり産業の発展と人材育成に尽力している。働きやすい職場環境づくりに注力し、2023年旭日単光章受章。
山地 真美
情景描写ピアニスト・作曲家/”The SESSION 0” 総合プロデューサー。カンヌ国際映画祭作品、テレビCM、文化庁日本博事業など、国内外のプロジェクトを手がける。音楽を軸に、観光・教育・アート・ビジネスを横断し、社会や地域が持つ価値を100年後の日本の未来へつなぐ文化プロデュースを行う。株式会社ベネルート専務取締役。

